萩LOVE、萩LOVEハイスクール担当の松嶋です。
ものすごーーーく遅くなりましたが、萩LOVE主催のイベント「リモートワークジャーニー@萩」のレビューをしたいと思います。
すでにFacebookグループ「反転授業の研究」主催の田原さんの「リモートワークジャーニー@萩でハイブリッドワールドカフェ」やリモートワークジャーニー@釧路主催者の四宮さんの「リモートワークジャーニー@萩に参加してきました。」、そしてソニックガーデン倉貫さんの「通勤のない世界〜未来日記で考える働き方の変化」と3本も振り返りのエントリーが書かれていますので、そちらをご覧になると全体がよくわかります。ぜひご一読をよろしくお願いいたします。
会の雰囲気はダンクソフト大草さん制作のこちらの動画がよく伝えてくれています。
さて倉貫さんのエントリーは衝撃的でした。あれは日記というより、小説。。。。
今回のリモートワークジャーニー@萩は2時間という短い時間でのトーク&ワークだったので「未来日記」というワークに十分に時間を割けなかったのですが、こういう風にそこで考えたアイデアをブログにまとめて書くというのはとても素晴らしい振り返りになりますね。倉貫さん、ありがとうございました。
今回の未来日記は「リモートワーク」をテーマに考えてもらうことで、1人1人が自分の生き方や働き方を捉えなおすきっかけになればと思って企画しました。フューチャーセッション風ワークショップです。
多様な職種の方、年齢幅も広かったので、1人1人が「どのあたり」の「未来」を想定するかも自由に決めてもらいました。
私のイメージとしては「リモートワーク×営業」、「リモートワーク×福祉」、「リモートワーク×医療」、「リモートワーク×萩焼」などいろいろと出ると面白いな、と思っていました。有形物(モノ)を扱うビジネスの人はもちろん制約条件は厳しいところがあるのですが、ものづくりの周辺部は十分にリモートでワークできるところもあるのかな、と思ってみたり。
私は、高校教員なので「リモートワーク×学校」で考えてみました。
ではその妄想日記もとい未来日記を少しご覧ください。
登校とセンセイのない世界〜未来日記で考える学び方の変化〜
いつも通り自宅からログインして授業を受けても良かったのだけど、天気もいいし今週は後2回コミュスクに参加しなくてはいけなかったので、久しぶりに朝から外出した。朝日を浴びた海沿いの道を自動自転車の自動機能切って自分の足で漕ぐのも心地よかった。
「おはよ〜。珍しいね、朝からくるのって」
「うん、天気良いしさ、そこ空いてる?」
「どうぞどうぞ、でも、コミュスクに来てもログインしてみんなで話すってやってること自宅と同じだけどね」
そう言って彼女はデバイスをオンにしてくれた。週に3回はコミュスクというラーニングスペースに通う必要があるけど、オンラインでも学び合いは出来るので、普段は出なくてもいい。昔は朝8時30分までに登校、というのがあったらしいが、今ではない。今は朝自宅で学習してから11時から12時の間にくればいい。朝早くから来てコミュスクからログインして学ぶ人たちもいる。オンラインにもコミュスクにも常時ナビゲーターやファシリテーターがいて、僕たちをエンパワーしてくれ、学びを伴走してくれる。夕方にはコミュスクとは別のコミュクラで好きなスポーツや文化的活動、プロジェクトを行える。
「ねえ、昔、センセイっていたんだよね?何してたの?」
「キョウシツって場所で40名くらいの人を集めて、みんなに一斉に科目を教えていたんだよ」
「え〜、センセイって人のペースに合わせて学習するの?」
「そう、その日に決められた範囲を進むんのだったかな」
今だと人権侵害で訴えられて確実に負けるな、と僕は思った。
学びをみんなと同じペースで行うなんて現在では考えられない。膨大な数の学習コンテンツがインターネット上にあり、それをキュレーションできるナビゲーターがいて一緒に学習計画を立ててくれ、さらにそれを活用して場を創ることができるファシリテーターがいる現在であっては、1人の人間が全てを教えることなど考えられない。
現在ではコンテンツに合わせるのではなく、コンテンツが個人に合わせられるようになっている。個人の学びのペースが安心して続けられ、そこに比較による優劣はつけてはいけないことになっている。実際にはなかなかうまくはいっていないところもあるようだが、次のレベルに個人が到達することが第一であり、他人との比較の中で優劣をつけることには意味がないことが、ここ数十年の間に社会が証明してしまった。日本で大学以外の学校が全て垂直統合され、年齢に関係なく場所を選ばずに学ぶ環境ができて、ようやく社会に近い学習環境が整い、学校という概念が根本的に変わって行った。
「ブカツってなんだったけ?この前歴史のテストで出てたんだけど・・・」
「今のコミュクラみたいなもんだよ、でも性質が違って顧問のセンセイというのがいて、ほぼほぼボランティアでやってたんだって」
センセイって人も大変だったんだな、毎日遅くまで残って強制的にやっていたひとが多いみたいだったようだ。
昔は、学校というと1つの建物の中に、センセイとセイトがいて閉じられた空間の中で知識や技能を習得していたが、現在では複数の学ぶ場があり、どこにいても同じような学習体験ができるようになった。ガクネンという年齢輪切りシステムもない。オンラインでもオフラインでも個人が尊重され、学びを諦めずに続けられるシステム、システムというと”冷たい”印象があるかもしれないが、このシステムは人間的で暖かいものだった、これが世界中に広がってから起こったことは、対話により互いの違いを認め合おうとするムーブメントだった。
そのムーブメントの影響で「対話」という科目が必須科目になって、最初は混乱した。
一部には「対話しなさい」という対話の精神とは全く真逆のダブルバインドな場も現れたりした。文科省も「主体的で対話的な深い学び」というキャッチを前面に出したものだから、一部の学校では「対話」が強制的に行われるという悲劇が起こった。しかし、それらはパラダイムシフトが起こる上での1つの痛みを伴った通過点であった。
「最近、アフリカの子たちとよく対話するけど、時々自動翻訳システムをオフにしてコミュニケーションするワークやるじゃない、あれさ、やると脳みそが喜ぶ感じがあっていいよね」
そう言って彼女はまたいつもの多言語学習の話を嬉しそうにする。僕にはその楽しさが全く分からない。僕らは生まれた時から自動翻訳でオンライン対話をすることに慣れすぎているのかもしれない。
オンラインでの対話で自動翻訳が本格的に始まったのは、今からかなり前、確か2016年頃に「Zoom革命」と言われた頃からだった。当時IIBMの人工知能APIであるWatson WorkspaceがZoomと連携したことにより数年後に実現されたシステムだった。Zoomは日本では当時はごく限られた人しか利用していなかったが、Let's Do Video 2016 Readers Choice AwardのBest Pure Cloud Software Videoconferencing Service部門で1位を取ってからアメリカでも多く利用され、さすがに日本でも無視できない存在になった。
「今度ね、アフリカに行って会うことになってるんだよね、楽しみ〜♪」
このコミュスクで最年長であろう彼女はいつでも遠くを見つめて楽しそうに会話する。
「ねえ、おばあちゃん、今度は一緒に連れて行ってよ」
僕がそう言うと彼女は笑顔で頷いて、チケットはお母さんに買ってもらってね、と小さな声で言った。